第1回 飯舘村村会議員との懇談会開催

さる8月31日(月)村内各ADR団体&訴訟団体で主催をした村会議員との懇談会を開催いたしました。

平日のお忙しい時間帯に関わらず参加者は50名近くと会場満席になる状況でした。

そして、2時間という限られたなかで共通質問を大きなくくりで4つ質問していきました。まずは国の平成29年3月 避難指示解除時期について、2つ目は村の復興計画について、3つ目に国が進める除染の課題について、4つ目が東電の賠償についてでした。その後にその他、会場からの質問という方式で進めて参りました。

各議員からひとりひとりの率直な考えや参加者からの様々な悩みや提案などが議員の皆様に伝わったのではないかと思います。引き続き、第2回開催に向けて進めて参りたいと思っております。


以下議事録を取りましたので、抜けている所もあるかと思いますが、ご一読ください。


場所:飯舘村役場飯野出張所 会議室

日時:2015831日(月)1330

主催:原発被害糾弾・飯舘村民救済申立団 

蕨平地区集団申立の会  

飯舘・川俣・浪江原発訴訟原告団

比曽地区集団申立の会

前田・八和木地区行政区長 



1.開会の挨拶 菅野哲氏

2.代表挨拶 長谷川健一氏

1回目の議員の方々との懇談会ということで、今まさに我々は国の方から20173月までの避難解除という事が言い渡されています。しかしながらその中身については何ら決定を見ていないという事が現状でございます。その中で我々の声がどこまで届くのかそして我々の代表者である各議員の方々に我々の声を強く村政に働きかけて、村政に生かしてくれるのだろうか。簡単に言えば村長が突っ走るという状況が見て取れるわけでございます。

そういう対応をどのように押させて我々(村民が)が本当に暮らせていけるような村づくり、帰還に対して道筋を立てて行ければなという事で今回の企画を致しました。我々5団体約3400名の声を預かっております。そんな中で我々の声を真摯に受け止めて今後の議会活動に反映をしてほしいと思うところでございます。本日はよろしくお願いいたします。

3.議長挨拶(大谷 友孝議長)

避難以来、我々も各行政区あるいは商工会等々の各団体と懇談会を持ってきたところであります。今回は5団体の皆さん、一堂に会して懇談会を催したいという事で申し入れ本当に有難いと思っております。議会としても、今、長谷川さんからあった通り、平成293月には避難解除したいという意向を受けまして原子力対策本部一同、内容を一方的な説明を受けただけで、詳細はなんら望んでいるような答弁を頂けない。そんなことで各省庁へ陳情に行って参りました。毎回、同じような陳情になっているのは、国、東電、我々(村民?)が何ら問題を解決していないというのを感じるのであります。皆さんの声を真摯に受け止め9月議会には何とか詳細を詰めていきたいと思っている次第であります。皆さんも懇談会27日から開催されていますが、(国からは)具体的な事が何もないですね。我々はどこの省庁からも嘘をつかれている状況が続いております。胸を張って報告できるような事をやっていかなければならないと思います。本日限られた時間ではございますけども、皆さんの声を今後の議会活動に活かしていきたいと考えておりますのでよろしくお願いいたします。簡単ではございますが挨拶とさせて頂きます。

《懇談内容》

■国の平成293月避難指示解除時期について

代表質問者:長谷川健一氏

国の平成293月の避難指示解除について私たち団体は村長の方に2度ほど要望書を提出しております。その内容とは避難指示解除時期の決定については撤廃を求める!と要求しております。しかしながら避難指示解除の決定は国がすると答えとして返ってきました。しかしながら、国の今回の避難解除の要件を見ますと3つの要件が記載されています。1つ目、20ミリシーベルトを確実に下回る事、2つ目、インフラ整備、除染が確実に終わる事、3つ目、地域住民と充分の協議とこのように3つの項目がある。その中で村長は部落懇談会で除染が終わらなくても帰村宣言をしますよと明言している。しかし、避難解除時期の後ろの時期を決められただけで、その内容、われわれが村に帰ってどのような生活をするのか我々が事故の前の様な生活に取り戻すには何をやればよいのか、我々が生活する手立てはお金は何をしていけばよいのか、全く分からない未知数の中で後ろだけ決められたというところでございます。しかも、後ろを決められたという事は精神的賠償は1年間延長しますとは言ってますがその他は、仮設、みなし仮設住宅はすべて打ち切られるということなんですよね。ということは我々は平成273月までにとういうことですので、その前になるかと思うんですが、我々の行く場所が無くなるということなんですね。村の線量の高い所に戻りたくなくても戻らざる終えないという状況が発生するのではないかなと私は思うのであります。そういう状況も含めた各議員のみなさんの考え方、そして、どの時点での解除が適当なのか、われわれとしては村に戻る材料としては安心して戻れること、これなら十分に生活していけるなと言うことが第一条件だと思うんですね。我々が避難指示解除を撤廃しなさいよと言ったのは撤廃をしてその時期が早くなってもいい。そういう諸々の体制が整えば早くてもいい。ですから避難解除の撤廃という事はそういう意味合いを持っています。我々が安心して故郷に帰れる状況をまず作る事が大前提ではないかと思います。各議員の皆さんの一人一人の考え方をお伺いしたいと思っていますのでよろしくお願いいたします。


飯樋善二郎議員

一貫して293月と考えてきました。ようやくこの時期に具体的になってきたかなと思っています。しかしながら、議長からの話にもあった通り全て裏付けのない曖昧な話でございます。これを何とかしようという思いで議会は皆さんが心配しているようなことはすでに多くの問題を考えさせていただいてそのうえで国に申し出をし、東電に申し出をし、今まで来たところです。そんな中で皆さんからいただいている心配事多く預かっております。それをどういう形でみなさんにご納得いただくかここが大事な所で、皆さんがここまで苦しい避難生活を延々と当てのない、見通しのない状況で続けている。これは私の考えでは目標を持つというのは人生において大事。一日も早い解除目標を掲げてずっといっておりました。しかしながら、そういう話にはならないという現在に至っている所であります。その中で皆さんが不安に思っている事は私どもも不安に思っている事でありますから、代表(長谷川氏)からありました諸問題をクリアしなければならないし、それを「しょうがないから帰りましょ」というわけには決してないと私は思っている。

しかしながら、皆さんにお話しできる事、これは残念ながら(国は)具体的な内容もはっきりした部分が少ない。今回1番最後に東電なり国に要望した内容をお伝えして今、代表(長谷川氏)が質問した内容とどういう風に違うのかという事を分かったうえで懇談会を進めていただく。そんな感じでございます、まず解除時期の設定するに当たってはすべての諸問題を解決したうえで生活基盤が全て整ったうえで、さらに皆さんが安心・安全に暮らせるような状況これが解除に1番大事な状況です。それがない限り、「はいしょうがないですね。」という事は決してありませんからその点についてはご安心ください。それから皆さんの農林業商工業、様々な産業の原発事故による被害が被ったことをどういう事を解除していくか、自然災害ならば努力をして明日にでも一生懸命頑張っていきましょう!という事になるのでしょうけれども、残念ながら放射能に関してはそういう事にはならないので、ですからこのことについて残された1年半、ま、4年半になりますから目標までには1年半あるわけですからそこまで条件を整えていって、山林の除染もみなさんから多く意見としていただいているので里山くらいはすくなくとも除染をやってもらは無くてはダメだとも申し出しております。東電にも汚染水の問題。賠償の問題、これも何回も申し出しております。相手はそれなりにはっきりした答えが出ないそんな状況が続いております。そんなことで今日は皆さんのそれぞれの想いがあると思いますので、皆さんのご納得いく回答が得るように一生懸命お答えしていきたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。


佐藤八郎議員

わたしは単的に私の考え方を述べたいと思います。現時点での避難指示解除時期についてですが、私は解除時期を加害者が決めるものではないというのが(私の)基本でございます。そして解除時期は先ほど長谷川氏が述べたように加害者が決めた要件さえもはっきりしないのに時期だけ決めてくると言った加害者一方的なやり方には私は納得いくものは何一つないという事で今後抵抗していきたいと思っています。

どの時点での解除が良いという部分についてはそういう要件が満たされて多くの村民の合意が得られてこれなら安心・安全に暮らせるだろうという村民の多くの方の合意がなければならない。そう思っています。


松下義喜議員

わたくしは家周り・農地・里山等の除染が終わらなければ帰還はありえない。と思っている。復興加速化本部が国に提案して平成293月を避難指示解除時期については国から1回説明を聞いている所であります。皆さんが心配していること、私たちも一緒でありますが、常に議会としては国に要望している。そういう中で平成293月の避難解除の時期については私も遺憾ではありますが、テレビ等でみますと3市町村の避難が待ったなしに解除していることがみられる。国の解除時期は前倒しになってしまうのではないかと懸念している。それと皆さんがおっしゃっている20ミリシーベルト以下、またインフラ整備等で地域で合意をしなければその時期を決められないのではないかとわたくしも思っている。我々議員の中でも色々な考え方を持っております。そういう中で9月の議会の中でも議員同士の質問等を行ってどのような時期、村の考え方、村長の考え方を変える、または住民の意見を取り入れて行かなければならないと強い気持ちで思っている所でございます。どの時点で解除が良いと思うかという問題については今色々な国に出している要望等がまとまった中での解除が一番妥当な線ではなかろうかとわたくしも思っている。ただ、避難解除ということで強行的に解除されるとするならばその中での帰村への想いというのをみんなで共有しながら、私一人の力ではどういう事になるものでもありませんから皆さんと一緒に頑張っていきたいという考えでおります。


渡邊 計議員

わたしは293月国がここで後ろとして考えているようですが私としてはここが始まりではないかとこのように考えている。

現在行われている国直轄の除染、これは平成293月で終わりですけれども、それ以降の除染に関して何ら提案案されていない。ただ、今50近くの各自治体で行っている除染、福島市を見ますと徹底的な除染を行っている。しかし今国直轄除染は5センチ剥ぎ取りの除染だけ、何の目標数値もない除染を行っている。わたしはこんなところに(村民を)返していいのか?と思っている。そして解除に関しましても、特に飯舘村は農業が主でした。農業生産物の買い取り、これをしっかりしてもらわないと、ただ作って売れなければ生活できません。そしてこの前、ある町の議員さんと話しましたが、その町でさえ米が売れない。これは風評被害です。世界に(放射能で汚染された村として)有名になった飯舘村の生産物と言ったら果たして売れるのか?ですから農業生産物そういうものに対する買い取り制度、それから山菜・きのこ飯舘村の村民に対して生活の一部だった。それに関しての補償は一切ない。おそらく(山菜類が)食べられるまで50年~100年かかるでしょう。そういうものが担保されないうちに帰還はないのではないかと思う。ただし、早期帰還を望んでいる人もいます。その人を拒んではいけないとも思います。早期帰還した人にはしたなりの援助をしていかなければならないと思います。ただ、解除に関しては、子供が安心・安全な生活ができるその時が初めて解除ではないかと考えております。解除と賠償についてですが、国の方で解除と賠償を一緒に考えて解除後1年後に賠償を打ち切ることを考えております。しかし、私たちの相手と言いますか、原発事故を起こしたのは東電で賠償はあくまでも東電です。しかし、そこがやりきれないであろうから、除染は国がやっている。しかし、国が賠償打ち切りに対してものをいう事は間違っている。あくまで東京電力を相手にした賠償でなければならないと思っている。そして、解除の時期ですが低線量被ばく、これに関して未だに確定した説は何にもないのです。果たして低線量被ばくを20年、30年し続けた場合どうなるのかこの辺をはっきりしないうちは帰れないのではないかと思う。そして除染の線量マップ少なくとも50メートルマップを作り、村民が一目でわかるものを作って村民が判断していく事が良いのではないのだろうかと考えている所であります。


伊東 利議員

国が示した避難指示解除についてですが、帰還は示されましたけども我々はそれに裏づけさせたものを担保させることが大切であると考えております。常に村長が言っている通り、住民とのまたは議会との懇談の中で十分議論して(避難指示解除)時期を定めるという事であります。ただ、今の状況ですと平成293月が最大の国が示している帰還だという事になっいる訳ですが、わたくしたちも今まで帰るには安心して戻れる状況を取り戻す事だということで、それには除染が今進められておりますけれども、帰村ありきの除染ではなくて、しっかり安心が担保された除染でなければならないと言っておりますし、帰りましたらば、生活ができる、やはり生活インフラの整備というものが完全にしなければただ帰っただけになり得ますので、そういう準備をこれから(解除まで)1年あるわけですが、その中でどう進められていくのかと思っている所であります。そしてさらには、解除されましたらばその後の帰れない人には生活保障を担保されて安心できるような状況になってからの解除ではないかと思います。

 


菅野新一議員

わたくしの場合は、他市町村において長期宿泊が始まっています、平成293月が遅くてもという報道でありますが、すべての課題を(解決)というと30年かかる。早くても29年の3月にするという色んな課題を解決して方向性を決めて頂いて皆さんの協議のうえで解除を決めるべきと思っております。


高野孝一議員

去る6月の一般質問の中で早くて来年の3月、遅くても平成293月だと回答をいろんな懇談の場で話をしておりますが、今議長から説明がありましたように第1が除染の実施、第2がインフラ等々の整備、第3が住民との十分な協議というのが3つの要件であります。村長が言うには長泥は除染も出来ない、生活ごみも出せない、家も壊さないという状況の中では平成293月行こうって言うのは無いんだよって言う話であります。賠償について今、国では25か月分250万円を一人に支払いますという事でありますが、財物については今年の331日が当面の避難指示解除見込み時期だということで6分の4しか支払っておりませんし、その後の状況については国と各自治体が協議して避難指示解除時期を決定しなければ支払わないと東電は言っています。現在の除染の状況についてはこの前の新聞の報道では住宅は終わりました、農地が36%、森林は52%、道路が27%の状況でありますけども、今これからまさに仮仮置き場を造ろうとしている。フレコンパックが山積みにされている環境の中では誰が見ても帰る状況は510年は帰れないと思っている。インフラの整備についてはAコープにコンビニがオープンしましたよ、医療についてはあずま脳神経外科が来年4月開業しますよとそういう中でたった1店舗、たった一つの医療施設が整った中では住民は納得しません。住民との協議についても他市町村をみても数回の懇談会を開催して一方的に解除時期を決めた経過がありますから今後とも国主導ではなくて住民主導の解除時期を決定する必要があると考えております。今後とも議員の皆さんと協議しながら平成293月以降という事で協議してまいりたいと思います。


大谷友孝議員

ただ皆さんとお話し合いをしていかなければならないというのはこの解除時期というのは国が決めることなんですよ。最初の区域再編の時、これも国だったんです。

その時も議会として抵抗した経過がございます。そのために賠償金が支払われないという事になって毎日住民から抗議の電話があり、国となんとかプラス6分の1という事で6分の3という事を6分の4とした経過があります。ただ国は今まで説明会の中で帰れなければ賠償は継続しますと説明している。だから我々も6分の5は賠償できるはずなんです。現に過ぎているわけですから。ところが6分の5の賠償がされていない状況。この前の話し合いの中では結局、長泥は6分の66分の5の所が3行政区、あと6分の4という状況で国はもうこれで賠償は終りだと思っている。我々に説明するのが精神的賠償は早く帰っても平成30年までのプラス1年余計に用意しました。住居の確保ということで当初古いうちや傷んだ家が(この賠償では)建てられないと言ったら住宅確保事業を使ってやっていくということになっている。ただ、みんながみんなその事業を使えるわけではないんですが、国としてはそういうところまで賠償をしているんだから我慢してくださいよと言い分なんです。ただ我々は帰れなかったら毎年毎年賠償を継続して支払いますよと言う事になっているはず。

国と交渉をしているがなかなかいい返事が返ってこないというのが現状。妥協はしたくないと思っている。


■村の復興計画(第5版)について

代表質問:横山正秀

他市町村の流れからみても復興計画が優先されるべきだろうと考える。解除時期をただただ延ばしていっただけでは、いざ帰った時、どうやって村民は暮らしていったり、復興していったりすればよいんだとそういう議論になっていかなければならないと思う。昔から言われている通り、「政治は駆け引き也、妥協の産物」と言われてきている。最期まで頑張って反対するのもそれも政治。しかし、村民、国民の事を想うならば、如何により良い条件で解除させるかと言うのも政治の役割だと思う。そしてこれから先は私の考えなんですが、営農再開支援事業というものを大いに活用して、帰ったなら生きがいとして農業を主とした特に花卉や水田の作付けをしていかないといつになっても再開できないわけですから、当面は餌米としての作付けをしていったらどうか?そういう提案を議会でしていってほしい。そして次に、健康面のことなんですが、われわれ年配者が帰ってやることもなんにもない状況。何らかの趣味を造れるような施設などを作って楽しみながら老後を暮らしていけることをまずは考える事、その次ですよ子供たちがどうしたら帰ってこられるのかを考えるのは。私は政治の流れとしてより良い条件で解除をする。例えば汚染物が完全に無くなってからというのは不可能ですから、営農再開事業が定着し、そして人が住めば、商工業も繋がっていくと思うし、そういう復興の足掛かりになると私は思っているのですがこのあたりはどうお考えでしょうか?


大谷友孝議員

帰村に向けての姿勢はそのような方向でいいと思うんですが、あと再生事業ですけども、「おれらは帰ったらなにやったらいいのか?」ではなくて各行政区でのワークショップをやっていますよね?「おれなら何ならできるのか?」ではないかという考え方でなければいけないと思う。各地から応援したいという団体がおります。

国なり県なりどういう支援をしてくれるのか私たちの納得いくような支援をしてほしいと訴えているが我々は賠償賠償ではなくて体を動かしていかなければ生活に成り立つだけの収入を得ないと働く気にもなりませんから、ただ単に作つけはした〇万(補償で)貰ったあとはただ草刈りをすると言った状況では再構築まではいかないですよね。ですから徐々に段階的に上がっていくような生活支援制度は必要です。


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飯樋善二郎議員

帰還に向けた村の取り組みは非常に難しい問題です。果たして農業の再開が今までの農業を簡単に取り戻すことが出来るのかといったら簡単ではない。現時点の考え方では無理としか考えようがない。そのうえで、何があるのかという話になりますけども他の例を見ますといろんな取組みをやっております。これは帰還時期が決まったところで具体的になっている。ですから、先を見据えることが大事になっている。本当に難しい問題だと思っているんです。営農再開って言うのはそんな簡単な話ではないです。決して無理とは言いませんが時間のかかる話です。営農するにはそこまで持続的に意欲的に村での営農再開にもっていくかが重要。

今後もしっかりと取り組んでいく。

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松下義喜議員

一般質問等でも営業再開事業での35000円の積み重ね方式では何ともならないのではないかという問題で結局農地の除染が終わった地域で価格を上げるべきだと一般質問をしました。(村民が)戻って花卉や畜産等々の問題等もはっきりと打ち出さなければいけないんじゃないかという事も質問させていただきました。今、復興計画の第5版のダイジェスト版という形で予算も取りました。今度は中身の再開等についても改めて中身を充実させたものを村では出すという事を言っている。そういう事でみなさんに帰村に向けて何をして、どういう生活をするのかということが一番課題でございますので、要望等を見ながら進めていく所存でございます。

 

 

 


横山正秀氏

営農再開厳しいです。分かります。ただ、農業の村 飯舘村がそこに向わないでどうやって暮らしていけるのか?どんなことをしても営農再開をしていく。そのために営農再開事業というものがあるのではないか?それを利用して農地を荒廃させないでその次早く作物を作って定住にしなければ将来、村なんかあり得ない事になってしまう。これは農業だけの話ではない。商工業だってそう。やっぱり農業が主体とした村だったからそこで村を復活させる事。難しいのは分かっている。しかし、そこをやっていかないとこれからの飯舘村は何年存続するのか?そこだと思うのですが議会で議論してご検討願いたいと思います。


大谷友孝議員

ほんとにその通り。今、何やっても駄目だとか作られないだろうとか売れないから駄目だろうなど、今ダメだろうという風潮になっている。ダメだったら、何ができるのか?昔から「百姓の来年」で農業者はもっとも難しい職業ですよ。3年に1回や5年に1回の冷害を乗り越えて来ての飯舘村の農業でした。ダメなのはわかっている。

ダメだ。ダメだ。はやめよう。今、「なにがやりたいのか。」「支援してください。」という相談をしていただきたいなと思うのです。


■国が進める除染の課題について

代表質問:鴫原喜市氏

 質問する前に私は今まで村長さんしかいなくて議員さんは何をしているのかと考えていました。ところが今日来て議員さんの話を聞いて、議員さんと近くなった。村民と力を合わせてこれからやっていけるのではないかと思いました。

(ここからが質問)

先ほどから議員さん諸々お話がありますが、平成293月(避難指示解除)遅くてもという話があって、それに向けて除染をなんとか終わらせていくという状況で行っているかと思いますが、多分それまで(平成293月まで)には完了すると私は思うのですが、除染の状況、宅地、農地、山、すべての状況をもう一度お聞かせ願いたい。そしてその除染によって出た汚染物が中間貯蔵施設に運んでもらわないと村に戻らないという事を村に要望している。除染で出た廃棄物をいかに搬出をするのか、また、どのような見通しになっているのかお聞かせください。

 


(代表答弁)

渡邊計議員

わたしは「までいな除染委員会」の委員にもなっていますのでお答えいたします。環境省では293月までは終わるといっておりますが道路の除染は終わらないだろう。現在2度耕作してから田畑を還すと言ってますが、これに関してはいつ終わるんだと言っても(環境省からの)返事は返ってこないという状況。(私の考えでは)おそらく30年経っても終わらないのではないのかと推測します。そして、今私が提言している事は、田畑の草を刈った場合、大きな機械を使うと次の年でも刈れますが、あるいはハンドモアなどでは2年後、3年後には(草を)刈れないだろうという事が起きてくる。では、(刈れなくなった草は)どうするのか?、普通であれば害虫駆除のために春先燃やして(野焼き)、農業をやってきたわけですが、じゃあ、(平時のように)燃やしてもいいのかと(環境省に)ずっと言っているが、未だに返事が返ってこない状況です。先月はじめに除染会議があったんですが、各議員のほうから意見を56件出して頂いているのですがこの意見は今後10月からの除染会議でしっかりと議論をしていこうと思います。進捗状況に関しては先ほど、高野議員から細かい数字が出ていましたが、山に関しては家から20メートルだけですし、その先の河川、山林に関しては未だ何も話が出ておりませんし、平成293月以降の除染に関しても環境省からも除染委員会からも何も話は出ておりません。それが現状です。


飯樋善二郎議員

中間貯蔵については双葉町や大熊町で進めているこの施設の交渉は5%に満たない状況です。ですから、その人たちとの話し合いをどう進めていくのか。それから連絡等が取れない状況で話も出来ない状況というひとがほとんどで(環境省からは)明確な返事はないという状況。そこで、まだはっきりはしていませんが、この搬出を現状のままでは無理があると、それで、仮仮置き場を仮置き場にして、(中間貯蔵施設に)運べるまで延長してはどうかという話が出ている。それぞれの自治体はそれぞれ保管可能な施設を設けるような動きが出ています。これからいろんな話があって果たしてそれでいいのか、現時点での中間貯蔵の搬入時期と言われても申し訳ありませんが明確に答えられないというのが現状です。


東電賠償の問題について

代表質問:佐藤忠義氏

 

避難解除にかかわらず、わたしたちが今までやってきた生活(原発事故前まで孫と共に暮らしてきた)を取り戻すまで補償賠償を続けていくよう粘り強く要求していくよう各議員にも頑張ってほしいと思います。東電や国には「要望」ではなく「要求」をしていくようお願いいたします。

 


(代表答弁)

飯樋善二郎議員

佐藤さんからもありましたような要求をしていかなければならないと思います。今、現時点で明確な基準が出てきたわけではありません。今まで決められた第5次追補で進めている。新たな要求については今後も深めていかなければならない。現時点では今まで決められた枠組みでやっていく。現時点で皆さんの納得いかない事案・要望が多くあります。それは当然であります。

避難解除後、生活を守るためにはどうしても必要なことになってきます。その補償を「生活支援制度」と言う形に変えて、賠償から移行してなんらかの形でやってもらう。ここが大事だと思って皆で要求しているところでございます。どういう答えが返ってくるかは今からですけども、要求はさせて頂いている。この賠償は担保してもらうというのが目標です。



   その他(会場からの参加者質問および要望)

■質問者

先ほどから平成293月という機関の目標が出ておりますが、放射性物質の置き場が仮仮置き場が仮置き場になるのでは?というような話もあるようですが、今後生活をしていくうえで、田んぼの作付けをしてもそういう状況では飯舘村での生活の担保していただけるのか。心配です。私の地区は復興エリア地区という事で工事が進んでおりますが、行政区の見通しが破たんするのではないかとかなり心配です。今まで農家を営んで生活してきたが(仮置き場や復興エリア地区として)農地を手放すということは子孫に対しても生活する場(土地が)無くなるわけで今後の生活の担保がどのように保たれるのか?行政区も含めて私は心配している所です。

今後村としての深谷地区の進め方はどのようにするのか?ここで分かっている範囲で教えて頂きたい。

 

(代表答弁)

飯樋善二郎議員

生活支援について先ほどお話ししたように解除後問題というのは皆さん心配している事ですから私たちも考えて行かなければならないと思っています。

それから復興拠点整備は計画が出ております。293月に計画通り完成するという事ですが計画が解除時期と重なってくる。解除はしたが(復興拠点も)ようやく出来上がったという経緯になるので、全く整合性のない事だ。解除は平成293月ごろにしたいとしていて多くの(今着工している)工事の完成予定が293月ごろ。これでは解除と(施設や拠点)完成が同時って言う話なんですが、ここをもっと早く(施設や拠点など)準備を整える話になっていかないといけないと思っている。当然、インフラ等の整備や住宅の問題がありますのでこれを1日でも早く進めて皆さんが納得いくような事にしなければいけないと思っています。これからみなさんと協議しながら進めて参ります。

深谷の復興拠点で変わったのはメガソーラーの面積が1部変更だけで、後は計画通り進めています。

 

 ■質問者

本来であれば避難する前(2011年)環境省・農林水産省・福山官房長官が来て話をしたときには「飯舘村は1ミリシーベルトまで下げる」と約束をしていったはずなんですが、どこでどう間違って20ミリにしたのか?なぜ引き上げになったのか?

あと甲状腺の問題ですが(飯舘村で)子供の人は何名甲状腺の病気にかかっているのか?大人の人も甲状腺の病気にかかっているのか?何名なのか?実は今、わたし甲状腺の病気にかかっています。その辺の対策もやっていかないと、これからますます甲状腺の病気が心配になってきますので、よろしくお願いいたします。

あと、飯舘村が避難解除してからも国の支援がないとやって行けないと思う。

帰還しても、火は焚けない、あれはだめ、これはダメという制約があるのならば、帰っても生活などなり得ない。そこを改善していく要求をしていかないといけないと思う。

私たちが、(議員の)顔が見えないというのは(そういう不安などに耳を傾けない)そこなんです。村長ひとりが新聞に出してから皆さんに報告する形ではなく(議員たちが)村民の声を吸い上げるという形にし、議会にかけて、それから新聞に掲載するという形にしないと村民は「またか・・・」という気持ちにもなりますのでその辺の改善もよろしくお願いいたします。


( 代表答弁)

佐藤八郎議員

答弁という形にはならないと思いますけれども、今、質問者からあったのは事実として当時の政府は言っていたことであります。そして45カ月の中で20ミリ以下だったらいい事にしようとなってきたのも事実です。何の根拠もありませんしかくたる大丈夫だという説はありません。ただ、マスコミや政府関係者すべてに亘ってそれで統一されているというのが今の流れではないかと思います。放射性物質といいますけど危険毒物なんです。間違いなく。そのことが中々理解されないものだから、放射性物質とマスコミやら加害者やらすべてに亘って使ってまとめ上げていますけども、危険毒物には変わりありません。村の全面積85%には危険毒物が置かれたままになっているというのは事実であります。誰が何と言っても。そのことで1ミリ以下にどうやったらなるのかっていうのは大変困難だと思います。したがって完全除染を求めなければならないというのが既定の事実だと思っている。あとは甲状腺の問題ですが、飯舘村の中で甲状腺がんが見つかったというのは指しあたって発見されたという数字はまだ出ておりません。

1番高かった、飯舘村には出ていないという事はどういう事か分かりませんけども、0という形になっている。A~D判定を受けた方はいますけどもただ、比率的には飯舘村は低いという状況にあります。

今後、皆さんに随時情報は流したいと思います。


■質問者

2010年に飯舘村に引っ越してきて飯舘村の気候風土で美味しい野菜などを口にすることが出来ました。(それを味わったのは)たった1年でした。これは長谷川さんに質問なんですが、酪農・畜産は復活はどんな予定でいますか?というのは、飯舘村の土づくりがうまくいっていたのは循環型の農業で、堆肥だとかを使ったり、あるいは山の腐葉土をふんだんに使って土づくりをしたから、その上に飯舘村の気候風土があって非常に美味しい作物が出来た。その気候風土は変わりませんが、酪農・畜産によるたい肥作りが(今後)中々大変なのではないかというふうに思うのですが、酪農・畜産の復興の見込みはどんな感じでお考えでしょうか?

       

長谷川氏:私の考えとしては酪農として乳搾りの産業といいますか生産物は私は無理だと思っています。というのは、今までわたしは県の酪農組合の役員をやっております。そういう事で県内のいろんな状況が把握できるわけです。例えば牧草地の汚染度合いですとか。ところが、県内各地でもゼオライト散布をしてやってもそれでも(放射性物質は)検出されます。(飯舘村における)酪農再開はもうダメだと思っています。

質問者

私も実は小宮の水田で実証実験を行ったところに牧草が撒いてあるのですが、それを採取して毎年線量を測っております。(放射性物質は)やはり牧草から出ています。それを牛に食べさせてどうなるかは分かりませんが、いずれにしてもそういう環境にあるということで非常に厳しいのかなと思います。例えば稲わら(ひとつ)とって視ても、米からは私どもが実験したところでは(放射性物質は)でません。でも、稲わらには(放射性物質は)含まれるわけです。そういうところからみてもわたしは営農再開については厳しいなと思っております。

それから2番目の質問は、林業に携わっている方がたまたま私の近くには大勢いたので、そのことについてお伺いします。

ここ一両日、モミの木の成長が放射線に影響して異常が発生しているという事があります。その前に実は今月号の広報に歌っている文言がありますが、木材の中にセシウムが入っている。あれは木の種類が書いてありませんでしたが、おそらく杉だと思います。930㏃(放射性物質)が入っているという報道があります。そこに環境省だと思いますが、その930㏃の板で部屋を作って柱を作って住んでも年間被ばく量は20マイクロシーベルトだから大丈夫だと言っているんですよ。皆さんご存知でしょうけれども、930㏃ということは1秒間に930発の放射線が出るということなんですよ。それに60秒×60分×24時間×365日かけてみて下さい。約300億発の被ばくをするんですよ。人間には40兆から60兆の細胞がある。その細胞には遺伝子がある。人間は放射能の被ばくによる修復能力はあるので、ほとんど大丈夫なのですが、でも、飯舘村に住むという事はその部屋に住むだけではなくて山に入ったり、村歩いても被ばくするんですよ。そんな環境の中にほんとうに子供たちを還していいのかという問題と林業はこの先100年、例えば私が調べたところでは今、実生の杉とか、松とか、コナラとかセシウムがすでに入っております。この先、杉が70年かけて、80年かけて100年かけて一人前になった時には商品価値がないんですよ。それでですね、反当り10万円の賠償ですよ。これはどう考えたっておかしいです。例えば、雑木林だって25年くらい経てば椎茸の原木やチップに使えたじゃないですか。それが一回だけの賠償で終わりというのは甘んじて受けるなんて言うのはとても納得できるわけがない。今回ADRで訴えておりますが、やはり村議会の皆さんも飯舘村の農業も中心ですが、林業にも携わっている人がいるわけだから、そういうところもきっちりとそういう観点で交渉して欲しいと思います。

もうひとつ、長くなるから辞めますが、今回お話の中で、先ほど年間1ミリシーベルトという話が初めて出ましたが、例えば村のアンケートを取っていてもほぼ3割が帰らない、3割が帰る、その他は迷っているんですよ。何に迷っているかは放射線量についてまよっているんですよ。なんで20ミリシーベルトなんですか?って言う話なんです。だって20マイクロシーベルトの場所に立って1年間で300億発の放射線あたるんですよ。そこに20ミリシーベルトまでは良いとなんで国が言うのを皆さん(各議員?)は黙ってあーそうですかというんですか。という事です。

 

(代表答弁)

大谷友孝議員

若干木材の中に放射線量が入っているのは理解している。あと、すべて(木材)がそうではないという事も理解はしています。今日欠席のある議員がいぐねの木を製材屋に持って行って(放射線量を)測ってもらって(このいぐねの木は)皮さえむけば大丈夫だろうという事で製材をしてもらっております。その業者に聞きますと「皮さえむけば飯舘村の木はほとんど大丈夫だよ」と言っていた。

(ここでこの事案は確固たる証拠ではないので議会発言としては不適格だとある議員から忠告を受ける)

あくまで例えばの事例という事です。

また森林再生ということで村をあげて30年~40年スパンで森林再生をしたいと林野庁や農水省に要望を出しております。

飯舘村は75%森林ですから、森林再生なくして飯舘村の再生ないんだろうということで要望はしております。

20ミリシーベルトをなんで善しとするのかですが、私どももろ手を挙げて受け入れているわけではございません。たまたま、国から20ミリシーベルト以上になるから避難しなさいと言われているだけであって、今、(質問者から)あった話のように線量の含まれた木材を使って家を建て、そこに住むということなどは議会として容認するべきではないと考えています。

質問者

私は非常に狭い範囲なんですが、昨年11月にクリとかキリとかアスナロの木の分析をしました。皮剥いで、支部と1年目と3年目の年輪と4年以降の年輪と。クリとかキリとかアスナロは)91%~96%(放射性物質は)皮についてます。だから、その製材屋さんが言った「皮剥げばいいよね。」は間違いありません。ただ、残念なのは杉の木2種類、これは去年の11月と今年の5月に伐採して測ってもらったら、そこには樹皮の中に39%、支部33%、芯に17%あるんですよ。これは私どもの分析だけじゃなくて今回村のお知らせに載ったのも木の種類は杉だと思います。私は林業の復活30年というのは危惧しております。

今、一緒に測ったなかで、杉の新芽、杉の葉っぱを測ると新芽の淡い1年目の葉っぱのほうが圧倒的に高いです。セシウムというのはカリウムの代わりに成長点にいくというのが一般的のようなのです。林業の再開とは言いますが、例えば皮剥げばいいとは言っても、椎茸の原木を皮剥いで成り立ちますか?そういうことですよ。


質問者

最も注目しているのが避難指示解除時期についてです。避難指示解除時期について議会の一定程度統一した物差しをもってですね、やっぱり村民と同じ方向を向いて村なり国なりに要求していく。その力技というかまとまった方向付をお願いしたい。というのは、当初(2011年?か2012年?)の部落懇談会にて質問しました。「いくら(線量基準)目指して除染をするんですか?」村は当初年間5ミリシーベルト目指すと言ってました。国際基準は年間1ミリシーベルトです。避難指示解除については少なくともここだという数値を足を稼ぎながら、合意形成する必要がある。あと、インフラとか除染の問題もある。インフラについては、足の悪い人にとっては(大変こんな言い方で失礼なんですが)、草野にコンビニが出来ても、川俣町にあっても同じなんです。交通弱者にとっては理想論から言えば帰村する地域ごとに商店がなくてはしっかりしたインフラ整備が充実したと言えないと思います。医療機関もそう。今避難生活が長くなっている状況でいろんな症状が出ています。日常的疾病、専門的な高度な医療が必要な人もいる。あとは、地域住民との協議ってありますが、議会はどうやって地域住民の声を吸い上げるのか?区長はどう地域住民と相談して合意形成を図るのか?その一定程度の地域住民の声を吸い上げる方法を村、議会、地域住民が同じ方向を向いてやるという議会の意志としてどうでしょうか?村に(そういった方法を使って)出して頂くわけにはいかないものでしょうか?是非議会も私たちの心の近い所に意見を集約しながらやって頂くことをお願いします。

2点目、村の復興計画つくりが目的ではない。計画をどうしたら生活に根差していくかが大事な部分である。ところが、(私だけかもしれませんが)復興計画を3回、4回読んでも、その後の状況が見えてこない。道の駅を例にしても、誰がどういう風に関わっていくのか?(ビジョンが)見えてこないです。当然、あそこに雇用を生み出すという事も謳ってますから中々採算の取れる施設ではないかもしれないですよね。当然一定程度の公金を入れての管理運営になるかもしれない状況になり得ます。相当覚悟のいる施設になるんだろうと思うんです。果たしてその覚悟をもっての3月議会での承認だったのか?話せる範囲で結構ですから議会を含めたお話をしていただければと思います。

渡邊 計議員

線量の事が少しでましたが、今月初めの除染委員会でも意見を出しまして、長期的に1ミリと言ってますが、解除を含めて目の前に迫っているのに、国の方からの施作は何も出ていないという状況。それで、村の方が復興計画第1版で5ミリと出した。これはその当時の数字が高いので5ミリくらいが適当ではないかという事で決まったんだと思いますが、その数値に関しても今後の除染委員会の中で改めて行くべきだという意見が出てきている。そういう事で今後除染委員会でも詰めていきたいと思います。それからインフラですが、買い物、医療、村の方でも今後村に戻った場合、今現在も買い物バス、医療バスが出ておりますが、その辺も充実するべきではないかと考えております。それから、復興拠点、これに関しましては私、村長に聞いたところ、村が行うのではなくて、第3セクターみたいな、やりたい人に任せたいと言ってます。駐車場その他も含めての管理を任せたいと言っているが、少し難しいのではないかと私の考えですが思っております。

そして、行政がいろんなことに公金をつぎ込むとなると、個人につぎ込んだ場合、個人の財政に関わるという事で行ってはいないんですが、昔、鳥取の知事が災害が起きた時に公金をつぎ込んだんです。個人の財政に関わるけれどつぎ込まなかったら鳥取がダメになるという決断をしたんです。そのくらいの英断が必要と私自身は考えている。

 

質問者

議員個人の意見を拝聴したかったわけではないんです。議会としての一人一人の思いがある中で一定程度の議会の総意として汗をかきながら取りまとめをしていただいて欲しいと思います。というのは、避難指示解除というのは色んな補償だとか賠償だとかが連動しているのが問題なんですよね。確かに、村長や議長が言っている通り、避難指示を出したのは国です。解除も国でしょう。ただ、帰村宣言は私たちがやるんだ、決められるんだという事の意志表示を見せてほしいんですよ。

 

大谷友孝議長

帰村宣言は議会が合意をして村長がやると決まっている。

 

質問者

村民主導で決めて行くという手法を要望として提案したい。

 


質問者

今まで解除時期等々の話をしてきたんですが、長泥はこの問題については蚊帳の外だなと拝聴しておりました。先般、議会では長泥行政区総意のもとで除染を国の計画の方向に従って除染をしてくださいと議会と村長宛てに要望書を提出しているのでその回答を差支えなければお答えいただければと思います。

それから長泥行政区の現状からすると、行政区そのもの崩壊する寸前になる状況が明白になってきました。行政区そのものを維持していくには行政区の支援、補助を頂いておりますが、長泥がたとえ一人しか戻らなくても維持管理には費用が必要。つまり公民館維持、体育館維持、防災無線維持など維持経費も議会を通してきっちりと長泥行政区を通して助成をだしていうくという方向で長泥行政区が消滅しない形で頑張って頂きたい。

 

 

大谷友孝議員

長泥行政区から要望書頂きました。ちょっと文言が手元になく忘れましたけども答えてくれという事ですが、区長さんには要望書を出して頂いても、前段階の説明をしないと分からないと思うんですが、村では長泥は帰還困難区域なんですよね。区域の見直しをしないと除染にも入れない。今、環境省が行っている老朽化した家などの解体や家の中の片付け、あるいは草刈りとか維持管理の仕事ですが、帰還困難区域には入れないことになっているので、なんとか居住制限にランクを落とすのであれば長泥もモデル除染に入れるという事でその交渉は村が行ったはずです。議会としては3回ぐらい交渉をしたんだけれども、長泥からはそれでもいいよという返事がもらえない。結局除染も解体も維持管理、そういう諸々の事業に取り組めないという話が議会でもありました。とにかくきちんと説明をして了解を頂けるよう設定していたのですが、どうしてもだめだったということで、現在でも何も着手できない状況であります。ですから区長さんにもお話をしましたし、要望書いただいたんですが、その要望書を預かる事は預かりますが、今のままの帰還困難区域のままでは取り組めないというのが現状ですのでご理解いただきたい。

 

質問者:除染する前に区域見直しで格下げするという事はおかしい。

 

飯樋善二郎議員:時間はかかりますが、他市町村の動向みながら、変わってくるでしょうからいずれは帰還困難区域も除染するという状況は変わりありませんからその辺猶予を頂きたい。

 

会場から:誰が帰還できないようにしたんですか!!

住民がなにか取るべき責任はあるんですか!!

東電が起こした事故でしょ!!

少なくとも議会に対して村民が要望しているんですから!!

飯樋善二郎議員:それは分かっています。そういう声を一人の代弁者としてしっかりと訴えていきたいと思っております。

 

大谷友孝議員:維持管理についてですが、帰還困難区域のままでは維持管理もその事業も出来ないという今の制度ですので、なんらかの方策をとらないと今のままでの維持管理は無理だという事でご理解いただきたい。


質問者

わたくしは除染の進捗状況と今後の対応についてお聴きしたいと思います。震災後、私どもの部落に村の方から村長以下、?(聞き取れませんでした・・・)の担当者がお出でいただいて村外に汚染土を搬出が終わってから帰村宣言をするんだという答弁を頂いていますが、いつの間にか帰村の時期が決められようとしていますが、しかし、いずれは戻らなければいけないと私も承知はしているのですが、現在の状況で平成293月の帰村という事は非常に厳しいのではないかと思います。

もうひとつ、土と生きてきた農村の村として、今の状態で帰村宣言をされたのではなかなか戻ってくる人がいないのではないか?

高齢者が戻ってきてもこれから繁栄するには非常に大変なのではないか?それから各家庭の事情の問題も当然含まれてくる。

今の除染の状況なんですが、進捗状況をご存知ですか?きちんとした内容を把握していただいて国の事業だからといってまかせっきりにしていてはならないとわたしは思います。

農地の件、除染が施工してから3年経過したところがります。その後手を加えていないので元の状態に戻っております。草が生い茂り、放射線も元の状態に戻りつつあると思います。そうした状況を私は村を挙げて、国に求めていくべきだと思います。2~3年の管理体制は国に創り上げなければならない。私たちは悪い事をして逃げたのではない。放射能のせいでやむを得ず避難生活を強いられ5年目に入っているわけで、除染された土地を放置しておく自体が、私は村に誠意がないとしか言いようがない。それから帰村時期なんですが先ほど皆さんから多く発言ありましたが、村民の声を聴いて、時期を示すのが本来の姿であって、現在の姿は異常だと思います。村民を無視した計画であって改めるべきだと思います。いずれにしても、戻らなくてはならないと思いますが中々大変だと思います。その辺も含めて議会で対応してもらいたいと思います。

最後になりますが、帰村した時の生活は厳しいと思います。公共等の資金は国からどんどん流れますが、私たち地域住民のためのお金というものは帰村宣言されれば限定されるんじゃないかと危惧しております。国とそうした面も確約しながら、帰村時期を選定していただければとお願いします。

 

大谷友孝議員

帰村時期ですが我々も住民の皆さんの要望なりご意見をお伺いするということで、何回か村で懇談会を開催しているときに後ろで聞かせていただきましたが、今回も村民からの声すべて議会に出してくれと要請している。我々も避難先でそれぞれみなさんからの相談や要望などの話はさせて頂いております。除染の結果ですが、業者によってばらばらですから、すべてを把握するというのは困難なんです。何回か議会で除染の現場には出向いて確認している。農地の管理ですが、除染の後の引き渡しが時間がかかる。当初無かったゼオライトを撒いて、肥料をまいて耕すといった工程があり余計に時間がかかる。

終ったら早く引き渡しをして管理できるような要望はだしている。

1番は皆さんが思うとおりに帰還できればほんとは良いんでしょうが。。。

生活支援という事で話はしている。

補償・賠償の問題も難しい問題です。

解除するのは国ですから、じゃあ国と住民とでのやり取りって言うのは完全に不可能です。

 


質問者 要望として

簡潔に発言します。今、私が目が悪いです。原因が分からないといわれました。健康面を議員さんもなるべく時間を割いて、お話し相手になって話を引き出してください。

孫についての健康面、教育面について飯舘村民なんですから村の方と同じ支援をしていただきたいので議会で議論してほしいです。

家の周りの線量は23.6マイクロシーベルトありました。家の前はダンプが頻繁に通る。ダンプ量が多いところに危なくて帰れない。交通整備の面でも考慮してほしい。

までいに除染をやってもらえるように村と議論してください。よくよくよく議論してください。よろしくお願いいたします。


質問者

村営住宅に入っている人はどう考えているのかお聞かせください。

 

大谷友孝議員

今、復興住宅建てたら何人入りますか?というアンケートとったら、1件だけという状況です。出来れば、新しくなりますから飯舘に戻れるんであれば飯舘に。

確かに村営住宅の方の賠償は精神的慰謝料だけで、土地とかがないわけですから。

 


閉会の挨拶 赤石澤 正信氏